このような話を軽々しく書くのはいかがなものかとも思いましたが、追悼の意をこめて、彼のがんばりや彼の人間性を伝えることが私に出来る唯一の悼むことだと思いお伝えいたします。
以前お話ししました闘病生活を送っていた浦和ボーイズOBが力尽きました…
まだ18歳でこの世を去りました。
最後までがんばって、がんばって力尽きてしまいました。
チームを始めて14年、こんなに悲しい日はありません。
私のスマホには卒団記念のために撮った彼の写真があります。
その笑顔が今でも忘れられません。
志なかばで悔しかったと思います。
本当に真面目で優しくて気を使う男で勉強も良く出来て、これからの未来をどんな風に真っ直ぐ生きて行くのか楽しみな男でした。
まだまだこれからという時に病魔に襲われてしまいました。
神様は何と残酷なのか…
彼が浦和ボーイズ時代にローカル大会ではありますが浦和ボーイズのキャプテン番号の10番の背番号を着けて主将として大会に参加したことがありました。
真面目な彼は緊張し、それでもその大役を果たすべく見事にチームを牽引してまとめてくれたことを思い出します。
選手たち全てを我が子の様に感じている私たちにとって辛く、苦しく、悲しいこの想いをどうしたらよいのかわからなくなります…
皆さん小山台高校の『赤とんぼ』の話をご存じでしょうか
小山台高校の選手が2006年に故障したエレベーターに挟まれ亡くなる事故がありました。
その後、赤とんぼが監督の膝に止まり監督が彼の名前を呼ぶとその赤とんぼは監督の人差し指に止まったそうです。
それから大会になると神宮球場に赤とんぼが飛ぶそうです。
そして亡くなった彼が赤とんぼになり変わって応援してくれている。選手たちも球場に応援に来ている観客も赤とんぼを見るとそう感じる様になったそうです。
今でも小山台高校の野球部のバックやシャツにトンボのデザインがあるのは小山台野球部は彼と共に…というメッセージなのだそうです。
私が彼の訃報を聞いたその日、浦和ボーイズにも不思議なことが起きました。
グランドになどいるはずのないシカがホームグランドに現れたのです。
嘘偽りなく写真はその時のもので、センター後方、グランドの御神木近くです。
シカは神の使いとも言われる生き物です。
そのシカは寂しげにじっとグランドの方を見つめています。
私は直感的に『彼がお別れに来てくれたんだ』と思いました。
このグランドには彼の野球人生がありました。この場所には彼の生きていた証があります。
だからきっと最後にお別れに来てくれたのだと思います。
シカの目は優しく後輩たちを見つめた後、静かに立ち去りました。
きっと彼は天国でも私たちを見守ってくれると思います。
私は一生彼のこと、彼と過ごした時間を忘れません。
そしてこれからも彼のような素直で優しく、明るい一生懸命な選手を育成出来る様に精進します。
彼のがんばった証に恥じないように…
本当に 本当に 悔しい…
君を失った心の痛みははかり知れないけれど…
それでも私と出会ってくれてありがとう
心からご冥福をお祈りいたします。
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